熊谷晋一郎さんのインタビューについて

岩永直子さんによる熊谷晋一郎さんへの一連のインタビューを通して読んだ。


もちろん話の出発点に置かれているのは、杉田水脈さんの『新潮45』への寄稿原稿への批判である。けれども本当の焦点に置かれているのは、人間の価値を生産性によって評価する価値・制度・言語(優生思想)に対して私たちがどのように関わるのか、である。

ひとつの関わり方として示されているのは「ナルシスト」と呼ばれるものである。それは、生産的自己像を求めそれを演じようとする一方で、そこからずれる自己のあり方すなわち自己の非生産性への不安を絶えず抱え持たざるをえない態度、いわゆるマジョリティが無自覚に身につけているそれである。
これに対置されるのが「アクティビスト」の態度。読んで字のごとく、既存の価値・制度・言語を改めべく働きかける態度といって良いだろう。したがってそれは、ここでいう優生思想の価値と言語、それにもとづく制度を乗り越えようとする態度だろう。

読んでいてとても新鮮だったのは、こうした対比の構成であり、なかでもそのなかでのアクティビストの捉え方である。

既存の価値や制度を乗り越えるべく、これに向かって働きかける態度をアクティビストと特徴づけることはよくわかる。けれどもこのアクティビスト的態度とは、実際には自己や自身の身体に耳を澄ます受動的な態度に結びついており、むしろここに根ざしているのだという。したがって、自身とその身体の声を羅針盤に、他者や社会のあり様を変化させる、このようなものとして、アクティビストが捉えられている。
こう整理されたとき、自己と自身の身体に耳を傾け、言葉を見つけていく当事者研究のアプローチが、既存の価値と制度を乗り越えて行くアクティビズムとして捉えられるようになる。

自分としては、ここに大きな発見があった。述べられている内容のそれぞれのピースには馴染んできたつもりだったが、各ピースがこうした布置のなかに置かれたとき、それらの理解が大きく変わった。そんな発見があった。