Ian Hacking 1996再び

"The Looping Effects of Human Kinds," in Dan Sperber et. al (eds.) Causal Cognition: A Multidisciplinary Debate, Oxford U. P., pp. 351-383.
移動中に読了。おおざっぱな防備録。
自然種と人工種との大きな相違は、後者において記述が当の記述対象'じたい'を変容させるところにある。当の記述を受け、記述された人びとがそれを受け入れて自己と行為をその記述のもとに把握し、あるいは拒否していく等々。
んでここでのポイントは(1)人工種はその概念において価値が付与されていること。(2)別に自然種/人工種と区別したからといってハッキングじしんが人工種に対して、「説明」ではなく「理解」を適用せねばならないと言っているわけでもない。というのも事実として、実践的レベルにおいて、人工種について法則的説明がなされちゃっているのが現実で、人工種とはむしろそうした現実を記述していく視点を与える概念なのだから、べつにハッキングが理解の立場に立つものではない。(3)なおまた、この区別によって(社会)構築主義の立場を取っているわけでもない。確かにこの概念は構築主義?リアリズムの問題にかかわりはするが、この問題は一般的な哲学的テーマとして問題とは別物として、むしろ記述される人びとにとってこそ、問題なのだ。ということは、この二項対立はイレリヴァントと言うこと。(4)ラベリング理論を認めつつ、さらに進めてハッキングはルーピングを考えていく。
ルーピングとは、上記のように、記述対象じしんが記述を知り、その記述のもとで何らかの行為をおこない、そのことが種の記述の意味を変容させ、またその記述を記述対象が知り……、というもの。
こう論じた上で、大まかな見取り図として種の分類学。(1)二階の種second-order kinds。これは二階の述語になぞらえて考えられた種で、その典型は「ノーマル」。(2)生物学化された種biologized kinds。(3)(当の対象にとって)接近不可能な種inaccessible kinds。例として自閉症。当人はその記述で自己を把握できないものの、それを囲む人間においてそれが把握され、そうした関係自体を変容させる。(4)自己記述的種。
という感じ。例によって雑ぱくに、暫定的な形でアイデアが提示されており、重要な論点があえて軽く書かれているように思われた。「俗っぽいこと」が歴史的存在論にとって重要なポイントなのだろう。

Causal Cognition: A Multidisciplinary Debate (A Fyssen Foundation Symposium)

Causal Cognition: A Multidisciplinary Debate (A Fyssen Foundation Symposium)