くりかえし

ここのところ、ある進化発生生物学者が一般誌にてざっくばらんに(というか無防備に?)述べた論説についてなされた、数多くの批判を読んでいた。とくに目新しい論点はない。時とともに技術と知識の変化があったが、基本的には同じ論議がくりかえされているように思える*1。こうした批判がかれこれずっとなされているのをみると、批判が届かない理由が相手の蒙昧さとは別のところにあるように思われる。ただし、知識不足のせいもある。そんなわけで、いくつか古いものを読み返してみる。

  • Dobzhanski, Th., 1950, "Human diversity and adaptation," Cold Spring Harbor Symposia in Quantitative Biology, 15, 385-400.
  • Livingston, F. B., 1962→1964, "On the nonexistence of human races," Montague, A., ed., The Race Concept, Macmillan, 46-60.
  • Dobzhanski, Th., 1962, "Comment," Current Anthropology, 3(3), 279-280.
  • Livingston, F. B., 1962, "Reply", Current Anthropology, 3(3), 280-281.

ヒトの変異を人種という枠組で認識することが恣意性を持たざるをえないことについての認識は、両者で一致している。相違は、有用性(と危険性)という論点における態度である(しかし何にとって、誰にとって、有用だというのだろう?)

*1:こうした批判は、社会学的にみれば、人類学者や生物学者の卓越化の手段としてなされているかのようにも見えてくる。もちろんつまらない邪推ですが。