Sacks, H., 1972=1989
- Sacks, H., 1972, "An initial investigation of the usability of conversational data for doing sociology," in Sudnow, D., ed., Studies in Social Interaction, The Free Press., 31-73.(=1989, 北沢裕・西阪仰訳「会話データの利用法」『日常性の解剖学』マルジュ社, 93-173).
ある母集団のカテゴリー化の正しさが観察にもとづいて正当化できるとしても、そのカテゴリーとそのカテゴリーが含まれるカテゴリー集合を使用することそれじたいが正当化されるわけではない。言いかえれば、当のカテゴリー集合が独占的に適切であることが正当化されるわけではない。したがってかりにそのカテゴリー集合を用いることが正当であるとすれば、その正当性は観察による正しさ以外の手続きにもとづいていることになる。そしてこうした手続きにもとづいていることと、当のカテゴリーの使用が観察によって正しいものと確認できることとは、両立する。同様に、ある手続きにもとづいているということを指摘することじたいが、当のカテゴリーにもとづいた観察の正しさを否定するわけではない(そしてI. ハッキングのThe Social Construction of What?の第6章(未訳)は、こうした<発想>を明示的にフーコーにまで繋げているものと考えることができる)。
この手続きは、ひとつの実践的社会学的推論と言いうるが、こうした推論がおよぶ範囲は、きわめて広い(たとえば、集団遺伝学的調査における様々なカテゴリーの使用については、上に述べた事態がきわめて明確にあてはまる)。こうしたサックスの洞察は、おもに会話的実践を中心に敷衍されてきたものの、こうしたアンバランスは補正されてしかるべきと思う。この点から考えると、初期のエスノメソドロジー的研究のいくつか(僕が念頭においているのは、周辺的扱われ方しかしていないM. モアマンやW. シャロックの論文)は、正当に評価されるべきであると思われる。たしかにこれらの論文は、既存の学問領域の分節には収まりづらい。たいして、日常会話・相互行為の研究はいまやこうした領域のひとつとなりえている。結果として、実践的社会学的推論の研究は日常会話・相互行為というジャンル(ゲットー?)のなかへと放り込まれ、弱毒化されてしまっているともいえる。
こうした状況を考えると、やはりこれらマイナーな論文群を通して、エスノメソドロジーの発想の核心を何度でも確認していく必要があると思っている。
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The Social Construction of What?
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緊張感から逃げるように、こんなものを聴きながら。
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