参加の構造としての物語

  • Goodwin, M. H., 1990, "Stories as participation structures," He-Said-She-Said, Indiana U. P., 239-257.

物語を、それが語られる相互行為における/としての/に対する対象として、検討する。言い換えるならば、物語は、相互行為への参加者がその相互行為にどのように参加していくのかというその仕方との関わりにおいて――したがって、どのような参加の構造のなかで、どのような参加の構造として、どのような参加の構造を可能にするのかという点にもとづいて――解明されることになる。これを通じて、物語というもののもつ相互行為的特徴が、わかる。初読時よりはや15年以上も経つが、再度、論点をメモ。

物語は、相互行為状況に根ざしており、このことじたいが志向されている(気にかけられている)(「ローカルな機会を持つlocally occasioned (Jefferson 1978)」)。したがって語るに足る特性を示すことが必要となる。同様にまた、それは物語に引きつづく相互行為のあり方を形作る(「連鎖上の含意を持つsequentially implicative(Jefferson 1978)」)。

物語は、特有の参加の構造(participation structure)を作るなかで、語られていく。ほかの参加者は、聞き手(オーディエンス)としてのアイデンティティをとる(これは、二者間のやりとりにおける「傍観者」とは異なる)。その上でさらに、オーディエンスは、物語に対して相異なるアイデンティティを持ちえ、したがって異なる参加の仕方をとりうる。

上記の二者間のやりとりとは、たとえば言い争いがある。非難や攻撃をお互いがしあうもの。非難の宛先とされた者がこの非難に(したがって非難を行った者を宛先として)反論し、これが再び最初の非難を行った者による非難に帰結すること。形式的に言えば、これは、話し手が直前の話し手を次の話手とするような、二者間の順番交代ということになる*1。こうした応酬は、この二者の行為連鎖への参加とその特定行為をレリヴァントととする一方で、その他の参加者がこの連鎖に参加することを強く制約する(参加するには、何らかの理由づけが必要とされるように思われる)。したがって相互行為の場に特定の焦点づけを与え、ほかの者を批准された傍観者という位置づけを与えることになる。

このようにな制限された参加の枠組みについては、物語によって構造化し直すことができる。言い換えると、物語は、相互行為の参加の枠組みを、大きく変換する。物語の宛先は、二者間の応酬の場合にみられたような特定の人物ではなく、相互行為の参加者であり、この人びとに「聞き手」としての地位を与えることになる。こうして物語によって、応酬にかかわら(れ)ない傍観者ではなく、聞き手となる。そして聞き手とは、目下の物語をもっぱら聞く者ではなく、語られた出来事に対して評価する機会が与えられることになる。そして語り手は、こうした構造を利用して、聞き手を物語に参加するよう招き入れ、連携体制を作ることができる。こうして、応酬に関われないでいたほかの参加者を、自らの連携者へと招き入れることが、できることになる。ちなみに、聞き手は一枚岩的ではない。聞き手は、物語に対して異なる関係を持ちえ、異なる反応を行いうる。


もはや当たり前の論点ではあるけれども、再確認。やはり良く書けている章だと思う。かつて辞書を引きながら必死で読んでいた頃を思い出した。

He-Said-She-Said: Talk as Social Organization among Black Children

He-Said-She-Said: Talk as Social Organization among Black Children

*1:ちなみに、「順番取得論文」によると、順番交代がこのような二者間においてなされるという偏りが見られるとのこと。そして順番交替の道具立て内在的には、修復の開始が、こうした偏りを作るものだという。あるいはこれは修復というより反撃というべきかもしれないが、「何を!」などの発言も、同様に考えることができると思う