テクストを分析する

  • Watson, R., 2009, Analysing Practical and Professional Texts: A Naturalistic Approach, Ashgate.

おそらく2009年のなかで最も印象に残ったテクストでした*1
この本の立場を一言でいえば、日常言語的手続きを用いて作り上げられ・読まれるひとつの社会的現象としてテクストを見ていくという、エスノメソドロジーの視点です。この点だけを取り上げればいくつか先行研究も見当たります。
ですが、このテクストのユニークな点は、このような立場から、社会学文化人類学といった人間社会についての再記述と言える専門的テクストにアプローチしているところにあります。具体的には、社会学あるいは文化人類学の専門的概念とそれを用いた説明が、日常言語やテクストの使用手続きに依拠しながらどのように作り出されており・また理解できるのかが、具体的事例に則して分析されていきます。そしてこのテクストがとくに個人的に重要だと思えるのは、このような分析が次のような明確な目的のもとに、すなわち人間や社会についての専門的説明の論理的地位をめぐる混乱とその由来を明確にしていくことを目指して、行われている点です。
こうした点が明確に述べられている箇所を一部引用しておきます(100頁からの引用です)。

〔日常言語的装置に依拠して社会学や人類学の説明が成立している点を記述することによって、〕社会学者と人類学者は、みずからの実際の説明が日常的知識と専門的知識——とくに「方法的知識」としての——とが結び合わされながらそれぞれ作られているその仕方について、ただの些末さをこえて意味のある自覚を持つようになると考えることもできるだろう。このような自覚には何が含まれているのだろうか。そこには、説明の構成に関わるこのような点から生じる重大な<方法論的>含意について詳細に把握することが含まれているだろう。そしてこの結果、たとえば次のような事態を避けることができるだろう。すなわち、素人による説明と専門家による説明との混同を避けること、また前者を後者として偽ることを避けること。あるいは、概念的混乱や論理的飛躍、専門用語と日常言語との結合につきまとう分析上の地位に関する誤解などを、そのままにしておかないこと。あるいはまた、どのようにして自らの説明が日常言語と素人的テクスト慣行とから作り上げられているのかを、この点についてほとんど無自覚だったり無関心な社会学者と人類学者に対して理解させる手助けになるだろう。


Analysing Practical and Professional Texts: A Naturalistic Approach (Directions in Ethnomethodology and Conversation Analysis)

Analysing Practical and Professional Texts: A Naturalistic Approach (Directions in Ethnomethodology and Conversation Analysis)

*1:ただし、書誌情報の扱いがずさんな点はとても残念です。例えば、ビブリオにない書誌情報が割り注で記載されているというのが、すくなくとも4件ありました。