斎藤, 2005

近年、けっこうな数出版されている「日本人ルーツモノ」から、とりあえずひとつを手に取ってみる*1。所々に挟まれているコラムが初学者には便利だったりする。たとえば少し気になっていたCavalli-Sforzaについての簡潔な説明はありがたかった。
そんななか、個人的に気になる点についてのご説明をメモ。

集団は、集団遺伝学にとって基本的な概念なのだが、同時にとてもいいかげんな、定義しにくい存在でもある。
日本列島に現在住んでいる人々は、ひとつの「集団」と考えることができる。その中の北海道・本州・四国・九州に住む人々も、それぞれ別々の「集団」と考えてもよい。四国「集団」のなかをさらに分割し……(以下同様、略)。(改行)……ひとつの集団は同じ地域に住むなど、それなりのまとまりがあることを期待している。(改行)まとまりと言っても、大から小まである。……要するに、「集団」とは操作定義であり、それがどのような自然のまとまりに対応するのか、しないのかは、なんらかのチェックを経て議論されるのである(p. 27f.)。

ここで言われている「自然のまとまり」とその「チェック」でもって何を言わんとしているのか判然としない。とはいえ、ここには僕にとって記述すべき手続きが存在しているように思われる。


最後にどうでもいいことをひとつ。手もとにある自然人類学の入門書をパラパラしていて気づいたこと:自然人類者は著名学者のお写真撮影がお好きなのですね。ゴルトン、ベルティヨン以来の伝統を彷彿とさせて、ユーモアを感じさせられた。

彼〔アラン・ウィルソン〕との短い話が終わるころ、私は彼の写真を撮らせてくれと頼んだが、断られてしまった。それ以来、彼の鼻眼鏡姿を撮る機会に恵まれないまま、数年が過ぎてしまった(p. 68)。

この部分の、「過ぎてしまった」という言葉づかいがきわめてナイスです。


DNAから見た日本人 (ちくま新書)

DNAから見た日本人 (ちくま新書)

*1:個人的には、NHKで2000頃にやっていた『日本人はるかな旅』シリーズあたりから徐々に盛り上がってきたという感があります。